K先生に言われた「そもそも展示なんてダメなんじゃない?」的な言葉が目からウロコで、あらためて科学技術系博物館の意味を考えてみることにした。確かに、今僕等がやっている活動の方法として、展示が本当に有効な方法なのかといわれるとかなり疑問だ。もちろん、そう思っているから、いわゆる展示以外の方法にも力を入れているわけだが、展示という方法そのものの有効性を見直そうとは考えてもみなかった。
自然科学に二つの方向性、自然哲学と自然誌(博物学)があるとすれば、いわゆる科学博物館(Natural History Museum)が担ってきた役割は明白だ。自然誌は多様な自然界の存在や事象を分類/記述するわけだから、それを研究する施設としても、成果を一般と共有する方法としても、展示して総覧する博物館という方法は至極妥当で、今後も揺るぎないと思う。一方、自然哲学に対応する「館」的施設は存在してこなかったように思える。また、人類の作り出してきた文化や文明を評価し継承するものとしての美術館・博物館(民族、歴史、技術など)があり、ここでも自然誌と同じ理由で、展示施設である意味は妥当に思う。
現在の科学系博物館は、前者の博物館(自然誌博物館)と後者の博物館(技術史博物館)を兼ねてきたように見える。
理科教育と生涯教育を目的とする「科学館」の多くは、自然誌・技術史については科学系博物館の方法を流用し、自然哲学(数理科学)については体験型の展示物を導入することで、展示施設という形態をうまく教育に活かしていると思う。ただし、小学校低学年の児童が主な利用者という実態を見ると、そういった展示が生涯教育の方法として十分成功しているようには思えない。私は科学館をやっているつもりは無いし、理科教育にも生涯教育にもそれほど関心は無いので構わないのだが、今後、科学館にはもっと別のアプローチが求められるだろうし、それを探るのは面白いテーマだと思う。
さて、ではSC活動の拠点施設として作られた未来館では、展示という方法はどのくらい妥当なのだろう。未来館が展示という方法をとる際に、科学系博物館での妥当性が根拠にならないのは明らか。科学館での成果を参照・模倣するのも危ういと思う。
では…、というところで、その先はまだ整理されてないので今度にします。
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