日曜日, 9月 27, 2009

はじめてのFlex

バースデイのトレーラーのために、初めてswfを作ることになった。とは言っても、うちにはFlashが無いので、コマンドラインのFlexSdkを使うことになる。最初はActionScriptで書こうと思ってたんだけど、MXMLでやってみることにした。その方がAssetが多い場合は楽そうだ(と思ったのだが本当の所はどうなのか分からない)。

要は、ボタンを押したらムービーが開いて再生するだけのものだが、開くときのエフェクト(これは便利)やシャドウ等のエフェクトでハマって、結局まる一日かかってしまった…。あと、ビデオの再生に使ったVideoDisplayコンポーネントは、秒数でイベントを出すことができる。これは便利で、ビデオ素材では表示が読みにくいエンドクレジットを、そのタイミングだけ静止画でオーバレイして(少し)読みやすくした。

FlexSDKでのコンパイルの仕方、MXMLファイルの書き方や、
MXMLでのコンポーネントの使い方などの基本は、
http://livedocs.adobe.com/flex/3_jp/html/index.html

トゥイーン用のクラスについてはここ、
http://livedocs.adobe.com/flex/3_jp/langref/mx/effects/TweenEffect.html
そのイージングについてはここ、
http://livedocs.adobe.com/flex/3_jp/langref/mx/effects/easing/package-detail.html

ドロップシャドウ等のエフェクトをMXMLで使うには、
http://livedocs.adobe.com/flex/3_jp/html/styles_11.html#874183
その一覧は、
http://livedocs.adobe.com/flex/3_jp/langref/flash/filters/package-detail.html

金曜日, 9月 25, 2009

bit.ly

こんな便利なものがあるんだ。
bit.ly http://bit.ly/
URLを短くして、クリックをトラックしてくれる。

金曜日, 9月 18, 2009

道具道 五誓八願

道具道 五誓八願

道具をつくる人は、誠実たるべし
道具をつくる人は、慈愛の心を持つべし
道具をつくる人は、心身清らかにして、清々しい気分を香らすべし
道具をつくる人は、うそをつかぬこと
道具をつくる人は、謙虚であること

道具は、単純なかたちにすべし されど個性を持つべし
道具は、解り易いかたちにすべし
道具は、暮らしのメッセージを放つべし
道具は、時代の精神を反映すべし
道具は、節倹を旨とすべし
道具は、歴史の魂を伝承し文明の恩恵を体現すべし
道具は、人間自然との調和をはかり美の秩序を構築すべし
道具は、未来の風景を約束すべし


栄久庵憲司「デザインの道」(鹿島出版会)より

月曜日, 9月 14, 2009

グッズ演習の日

某大でやってるサイエンスグッズの演習、今年も何とか初回を乗りきりました。最近は自分でグッズ開発を手がける機会が無いので新しいネタが無く困ってるのですが、キャラクターで、というアイデアを頂いてちょっと活路が開けた感じがしました。これ面白いかも。
帰りは下北沢で下車し、池尻まで夜の散歩を楽しみました。目黒の自宅まで川沿いを歩いて帰っても良かったんだけど、一昨日終電を逃して中野から歩いたばっかりだし、楽を取って電車で帰宅。

土曜日, 9月 12, 2009

コーネル大の機械要素

http://kmoddl.library.cornell.edu/

マルチ画面のOpenGL

EqualizerGraphics
http://www.equalizergraphics.com/index.html

恩師80歳を祝い

心から敬愛する師匠、栄久庵憲司氏80歳のお祝いの会に列席できた。
日本のデザイン界を切り開いてきたバイタリティを今もみなぎらせている貴重な存在。まだまだ本当にお元気そうでなによりです。このほど出版された半生記を拝読し、またエネルギーを頂こうと思います。

水曜日, 9月 09, 2009

手順的なもの

TPLを考えるために、生活の中にある手順的なものを考えてみることにする。何かなぞらえるのにヒントになるものは無いだろうか…、ということだ。
・料理
・旅行
・移動
・掃除、洗濯…、家事はそもそも全般的にかなり手順的だ
・プラモデルの組み立て…、組み立て家具や組立ものは全般的に手順的だ。
・ビデオの編集?
・タバコを吸う
・風呂に入って身体を洗う。
・お手洗い。
・整理整頓(苦手)
日常生活はかなり手順的だ。(…これは問題だ)
何か「もの」を駆使して手順を作る的なものは…?つまりタンジブルな方向に振りたいつうわけだ。
・ドミノ倒し
・往復はがき
・パーティー会場のセッティング
・宝探しゲーム
・推理小説を書く行為
・携行品を玄関に置いておくこと
・旅行代理店(交通手段や宿泊、案内人の手配)
・犯行計画(アプローチから逃走までの準備)
・大規模イベントの開催(周辺整備や人員配置、演出装置)
・都市開発(機能を配置することで動きを生じさせる)
・獣を狩る罠
これらはつまり「仕組む側」になるつうことだ。日常的にはなかなかその立場にならない。
日常生活そのものはかなり手順的なのに、手順を実行するもの自分自身だから、アルゴリズムを何か事物に託して実行させるような立場には日常的にはあまりならない、ということか。だから、アルゴリズミックシンキングの経験も知見も一般的ではないのだ。でも、「仕組む側」になるのは面白いし、それをやらないのはもったいないぞ。

月曜日, 9月 07, 2009

「展示」の有効性

K先生に言われた「そもそも展示なんてダメなんじゃない?」的な言葉が目からウロコで、あらためて科学技術系博物館の意味を考えてみることにした。確かに、今僕等がやっている活動の方法として、展示が本当に有効な方法なのかといわれるとかなり疑問だ。もちろん、そう思っているから、いわゆる展示以外の方法にも力を入れているわけだが、展示という方法そのものの有効性を見直そうとは考えてもみなかった。

自然科学に二つの方向性、自然哲学と自然誌(博物学)があるとすれば、いわゆる科学博物館(Natural History Museum)が担ってきた役割は明白だ。自然誌は多様な自然界の存在や事象を分類/記述するわけだから、それを研究する施設としても、成果を一般と共有する方法としても、展示して総覧する博物館という方法は至極妥当で、今後も揺るぎないと思う。一方、自然哲学に対応する「館」的施設は存在してこなかったように思える。また、人類の作り出してきた文化や文明を評価し継承するものとしての美術館・博物館(民族、歴史、技術など)があり、ここでも自然誌と同じ理由で、展示施設である意味は妥当に思う。
現在の科学系博物館は、前者の博物館(自然誌博物館)と後者の博物館(技術史博物館)を兼ねてきたように見える。

理科教育と生涯教育を目的とする「科学館」の多くは、自然誌・技術史については科学系博物館の方法を流用し、自然哲学(数理科学)については体験型の展示物を導入することで、展示施設という形態をうまく教育に活かしていると思う。ただし、小学校低学年の児童が主な利用者という実態を見ると、そういった展示が生涯教育の方法として十分成功しているようには思えない。私は科学館をやっているつもりは無いし、理科教育にも生涯教育にもそれほど関心は無いので構わないのだが、今後、科学館にはもっと別のアプローチが求められるだろうし、それを探るのは面白いテーマだと思う。

さて、ではSC活動の拠点施設として作られた未来館では、展示という方法はどのくらい妥当なのだろう。未来館が展示という方法をとる際に、科学系博物館での妥当性が根拠にならないのは明らか。科学館での成果を参照・模倣するのも危ういと思う。
では…、というところで、その先はまだ整理されてないので今度にします。

日曜日, 9月 06, 2009

とにかく書く、と。

9月になっちゃった…。
前のログは7月だ。ひと月以上あいたな。
あーあ、夏は暑くてダメだね。やる気がおきないし。
思い返してみたら、このブログを始た理由の一つは、毎日何か書き続けることで、文章を書くのが速くならないかしら、上手くならないかしら、と思ったからなのでした。なのにこのテイタラクは何よ。また始めてみようかしら。
というわけでとにかく書く、と。
ログっておきたいことが山のようにあったんだけど…、思い出すのが面倒なので(それをやりだすとまた書くのが億劫になる)、前向きに、明日からにしよう。

小寺さんに教えてもらったwowlab、好きになりましたよ。これはメモ。