生物は生命を入れた器(うつわ)。うつろいゆく、生命の「映し」。
今日の長沼先生と千さんのお話。
目の前に見える「現象」は、背後にある原理の映しである。
天体の運行や落下するリンゴの背後には重力理論が、
電波や目に見える光の背後には電磁気学が、
物質の性質や変化には量子論がある。
大統一理論では重力、核力、電磁力が統合され、
物理が全て解き明かされると考えられているが…。
否、忘れている重要なものがあった。
「生命」。
「生物」ではなくて「生命」。
考えてみればなぜ忘れられていたのか不思議だ。
これまでは半ば宗教的な固定観念に縛られて物理の対象ではなかったけど、そろそろその転換の時期を向かえているのかもしれない。
生命は物理だ。
物理という言葉が適切でないなら、この宇宙の原理を構成する要素の一つだ。生物の形態は様々だろうけれど、「生命」という原理は、かなり一つだろう。複雑系への着目はそこに向けて足を踏み入れているのかもしれない。あるいは量子シミュレーションはその手段になるのかもしれない。
生命が原理だとすると、その原理は何について説明する原理になるのだろうか?
今は生物に注目して、生きているとは、と考え、それを説明する原理を探っている段階だ。だが、それが解き明かされたときには、「生命」というものの見方は狭すぎるかも知れない。生命現象を含む、もっと普遍的な何かのメカニズムを説明しているような気がする。「生命」は、そこから逆に再定義されるのではないだろうか。
そう考えると、生物に注目する方法とは別に、一切の既成概念を捨てて周囲を見渡し、これまで物理で目をつぶっていた「すき間」に注目して、それを整理するのも面白いかもしれない。別の言い方をすれば、これまで「当然」と思って見過ごしてきたことに目を向けてみることが必要かもしれない。
例えば、ここに2枚のポスターがある。
一つは生物の進化、もう一つは宇宙と物質の進化。
なぜどちらも「進化」なのか?
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